父島の宿AQUAさん建築の想い出
2015.06.03


然のメールで、即ご返事を送信。
お施主「B様」とメール+電話でのやり取りが始まりました。
東京から父島へは唯一の定期公共交通機関の「おがさわら丸」通称「おが丸」で往復6日間かかる場所のため、サッと現地へ伺う事が出来ません。
また2010年当時は島のネット環境は非常に悪く、写真等重いデーターは送信に長時間がかかり、また島内の携帯電話網もNTTとAUのメールのみ、iモード等のサービスも無い状態で、もちろんスマートフォンは使えませんでした。
B様は東京23区のご出身との事で、一時里帰りをするタイミングに当事務所へ来て頂く事ができて、詳しいお話を直接する事ができました。
滅多にお会いできない場所から来て頂いたので、お会いしたその日にお聞き取りをして、事務所近所の居酒屋へ移動。ざっくばらんにお話をして、情報や気持ちの共有ができるようにしました。
さて、その後ご希望や敷地の写真、敷地図などから、提案書と1/50の模型を持って、8月にお打ち合わせのため父島へ初めて行くことになりました。土地を見ないで案を考えて
プレゼンするのは初めてですが、とにかく出来る事を進めるしかありません。
動線計画や客室の配置などはB様が今まで島で賃貸物件で宿を営んだ経験から最適なご希望をいただき、それをベースに膨らませるように考えた案です。
強力な台風が来る地でもあるので、いつも提案する天窓は封印。
かならず3泊以上連泊になる宿(おが丸の運行スケジュールから1日目船泊、3日間島泊、5日目出航6日目竹芝桟橋着)のため、プライバシー性の高いバルコニーを各室に設けて
3日間の「生活」が快適にできるように邪魔な収納扉は廃し、洗面所は直接部屋に設ける案などを提案しました。
2010年の6月のある日、父島から1通のメールが届きました。
「初めまして、小笠原の父島にて民宿を経営しています。このたび父島にて土地を購入す
る事が決まり新たに宿を建築したいと考えております。貴社様は父島での建築計画は可能
でしょうか?」
といった内容でした。

■工事見積
島での工事費は内地の工事費の1.5倍はかかります。
これはすべての建築資材を おがさわら丸 か共勝丸の2隻で内地から運ぶ必要があるから
で、船代がかかる上、島の人達の生活をささえる食料や衣料品や燃料などを積んだ残りの
スペースが工事材料を載せられるスペースとなります。
また、荷物には優先順位がつきますので、予定通りに工事材料が載せられないことも普通
に起こります。
職人さんの手配でも、島では一苦労します。
島では専門職人は少なく、内地(内地=主に本州、首都圏をさします。小笠原も東京都な
ので、島以外の東京を内地という表現で指します)から人を呼ぶとなると、たとえ1日手間の工事で
も前記6日間を使わなければ島には来れないため、人件費もその分余計にかかります。
小笠原諸島はシロアリが非常に多く、建物は出来れば鉄筋コンクリート造が理想ですが、
前記のように工事費が膨大になります。
そのため、アクアさんの構造は耐蟻剤を使った木造工法を採用しました。
■建築確認
2010年8月にプレゼンしに伺い、同年11月に実施設計UPのご説明に伺い、12月にはスタ
ッフが島に建築確認申請に行きました。
父島には小笠原村役場と東京都の小河原支庁があり、建築確認は小笠原支庁に出す事がで
きます。
民間申請機関にも当時出す事ができましたが、検査などの出張費もかかると言われ、支庁
へ提出する事にしました。
初めて行った8月に村役場と保健所を廻って、一通り法的条件をチェック。また東京電力
の小笠原事務所にも行って電気の引き込み条件を確認しました。
さて、建築確認の提出先は島の支庁ですが、審査自体は新宿の都庁本庁で行うとの事で、
修正や質疑は新宿で行えるメリットがありました。
確認がおりると書類は都庁から島の支庁に郵送されて、支庁から確認済み証が発行されま
す。済証の受け取りは施主のB様にお願いして、コピーをこちらにも送ってもらうこととし
ました。
■工事監理
毎週監理へ行くという訳にはいきませんが、基本的な事はもちろんチェックします。2月に
基礎の配筋検査を行いに行き、アンカー位置を鳶さんに指示し、間違えないように型枠に
印を付けて、指示します。監督としては大工の棟梁が島に住み込みで行ってくれています
ので、その点は安心で進みました。
3日間滞在中は午前現場監理を行い、午後は別件の仕事を宿の部屋で行います。
疲れると、気分転換に大村海岸へ出る日々の連続。
夜は宿を経営しているB様のお仕事が終わるのを待って、お打ち合わせを行います。
お会いできる頻度が少ないので、島に渡った時は密にお話しするようにします。
3月には東日本大震災が起きました。
島にも津波が押し寄せ、港付近は冠水して、クルマがだいぶ犠牲になりましたが、建設
地は無事で工事は通常に続行できました。
ただし、震災での材料不足は深刻となり、3月上棟予定がずれ込み、5月になり、ゴール
デンウイークでしたが船のチケットは取ることができて、上棟金物検査へ行くことがで
きました。
材料と言えば当時日本各地で住宅系の断熱材が不足していて、当計画も頭を抱えていま
した。
たまたま棟梁が魚港に積んである発泡断熱材を見つけます。発泡断熱材はどこかの事業
所が内地へ輸送しようとしていたようですが、これを運良く購入できました。設計で見
ていたグラスウールよりも性能が高そうで、屋根面にもこれを入れることに成功。
非常に断熱性能を上げることになりました。
6月に入り、工事の進捗を見るためスタッフを派遣。女性スタッフの一人船旅でしたの
で船中では旅行者のおじさん達にモテモテだったとか。
7月に完成検査で行くものの、仕上げ工事の途中でした。
各部の間違いがないかをチェックして再度9月に完成確認に行き、完成した建物に宿
泊して、その出来をチェックし、泊まり心地も確認できて終了しました。

■島で感じること
世界遺産への登録発表が2011年6月ごろだったので、その後の2航海は大変な乗船人数で
850人は乗っていたと思います。
それまではもっと少なかった定員を急遽定員を増やしたようで、船の中は足の踏み場が
ないほど人が床で寝ていて、すごい状態でした。今は適度に落ち着いていて、また楽し
い「おが丸」での旅ができるころと思います。
島に何度か渡り、観光と違った生活の視点で過ごす何日間かを体験しましたが、島にい
ると、余計な物が欲しくなくなるように思います。暖かい気候から服も短パンTシャツ
で事足りる事もありますが、余計なオシャレをしても意味が無いように感じてきますし、
持ち物も高価な物を欲しいという感覚が薄れるように思います。
島の人口は2000人程度だそうですが、若者が多く子供の率も高いです。
高齢化している他の離島とは状況が違うようです。
しらない地元の子供達が挨拶してくれ、小さな子供達だけで海で泳いで遊ぶ姿は本当
に驚きます。
また、島の人達は遠く昔海外から島に渡った人の子孫や最近内地から入った人達、江
戸時代に渡った人の子孫などが混じり合って、どんな人が来ても受け入れてくれるよ
うな空気が満ちていました。