ハンガリー建築旅行1

2025.02.04

ハンガリー建築旅行1

2024年の3月にハンガリーヘ建築を見に出かけました。
元々は東京オリンピックの前の2019年に出かけようと色々調べていた所、仕事の都合などで行きそびれているうちにコロナ禍になってしまい、訪れる事が出来なくなっていました。

2023年に出入国の規制が解かれた事から早速計画を再開して出かけてきました。

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2017年にスペインに行った時と同じ羽田の「日本橋」前から出発です。
日本からハンガリーへは2024年現在で直行便がありません。
そのため、パリかアムステルダムかロンドン等で乗り継いで行く事になります。
ロシアのウクライナ侵攻前のリサーチではフィンランドエアのヘルシンキ経由が良さそうでしたが、今やロシア上空を避ける航路で西側の航空会社が安心・・・と考えるとエールフランスかKLMかと言った候補になりました。今回は旅行会社のWebで往復便を探した所、行きはエアフラでパリ経由、帰りはアムス経由のKLMが時間も良さそうで乗る事にしました。
搭乗後はお約束のビデオを拝見、相変わらず乗客を飽きさせませんね。
14時間45分のフライトでドゴールへ向かいます。
14時間45分の長旅ですが楽しみと言えば食事。
ワインも頂きました。
出発して6時間ほどの位置です。
北海道と樺太の東をこえ、ロシアを迂回して北極海へ。(右下の小窓は尾翼のカメラです)
7年ぶりにドゴール空港の2Fターミナルに。
前回は旅慣れた友人が乗り換えを軽やかに案内してくれましたが今回は自力移動です。
廊下を進んでいると、「ハンガリー行きの日本人の方いますか〜」と、おそらくエールフランスの日本人係員さんの声がかかり、「こっちへ行ってくださいね〜」と2Fターミナルの行き先を指示してくれました。
3時間半ほど乗り換え待ちをして。ドゴールからブダペストのリスト・フェレンツ空港へ。
ブダペストへは2時間15分のフライトです。
この便に東洋人は我々だけです。

ブダペスト上空の夜景です。

さて、1990年発売と1984年発売のa+uです。
90年にこの雑誌で現代ハンガリー建築の特集がありました。
当時それを見たところ、あまりの強烈な建築デザインの数々に圧倒(というより唖然)とさせられました。特にイムレ・マコヴェッチ氏の建築はインパクト抜群。
急いで氏の出ているバックナンバーの1984年3月号も購入しました。

昨今の建築は勝ち組に乗ろうとするデザインばかりです。
そんな中、強烈な個性を発するハンガリー建築を見たいと2018年に思い立ち、コロナが終わってやっと行く事ができました。
ブダペスト西駅の近くの宿に1日目〜4日目まで宿泊しました。(写真は西駅)
写真は到着翌日の朝。朝メシを食った後に西駅前の地下にあるブダペスト交通局の窓口へ直行。
ブダペストの公共交通(トラム・地下鉄・バス)はブダペスト交通局(BKK)が仕切っているとの事で共通パスを買いに西駅前の広場地下にある交通局の窓口へ直行です。

ネットであらゆるハンガリーの記事を読んだり、地球の歩き方を買ってみたりしましたが、コロナ前の情報ばかりで(当然ですね)今どうなっているのかイマイチ分からずに現地に乗り込みました。

あるネット記事によると、24時間チケット、72時間、7日間があるとの情報で、7日を買おうと窓口のおばちゃんにハンガリー語で書いたメモを見せると「7日間は売って無いわ、15日間があるけど」との事。
「15日間乗り放題で5950Ft(フォリント)で絶対お得なのよ」と言った感じのご返事です。
(1フォリント=0.5円 2024年3月現在)
1人3000円で乗り放題ならこれはお得と、早速購入です。
(外国人しか購入できないのでパスポートを見せて確認を受けます)

で、携帯に貼り付けたフォルダーに早速装着です。
西駅地下でパスを買った後はトラムで南駅に移動。(写真は南駅)
この日は朝からブダペスト郊外にあるシャザロンバッタ(Szazha Lombatta)へイムレ・マコヴェッチ氏設計の教会を見に出かけ、午後は市内に戻る予定。
キップ売り場を目指してウロウロと。
事前に構内図と売り場窓口の写真はリサーチしていたのですが、見つからず・・・と思ったら、この工事中の現場かと思う小さな開口が有人キップ売り場入り口でした。中は薄暗く人もまばらです。
これがハンガリー国鉄のキップです。

左上に出発駅(Budapest-Deli)と到着駅(Szazha Lombatta)が記載され、その下にあるのは購入した時間と、このキップが使えなくなる期限の時間です。

多くの欧州の駅と同じで駅に改札口は無くて乗車していると車掌さんが来て検察するときに見せます。
車掌さんはレーザー光の出る端末を持っていて、それでバーコードをスキャンして行きます。
窓口のおばちゃんが11番ホームから出るよ、との事で乗り込みます。

さて、出発後にトラブル発生。
我々が紙地図を広げて話していると、通路越しの若いハンガリー人カップルが日本語で話しかけて来ました。上手い日本語なのでビックリしていると、「電車乗り間違えてませんか?」との事。
我々の紙の地図が目に入ったのかも知れません。

それで、急いで1つ目の駅で降りまして、引き返すことに・・・
ブダペストを出て南下するはずが西へ行く路線へ行ってしまいました。
下車した駅ではハンガリー入りして初めて自販機をつかって戻るキップを購入。

時刻表も見つからない状態で昔なら不安で一杯になる所ですが、今はスマホのグーグルマップで行き先検索すればルートを再検索できるので楽楽です。
その分スリルはないですが。
ブダペストから電車で30分ほどの街、シャザロンバッタの駅です。
ちなみに建物の入り口には駅名ではなくて「鉄道駅」とハンガリー語で書いてあります。
途中に橋があり、下をのぞくと川でも道でもなくてパイプラインでした。
煙突に向かって一直線に伸びています。
道の先に目的地が見えて来ました!
ハンガリー現代建築界の巨匠イムレ・マコヴェッチ設計の聖イシュトヴァーン ローマカトリック教会、シャザロンバッタに到着です。(1995年竣工・2019年改修)

形状はこの地シャザロンバッタ(Százhalombatta)にある古代の集落の形から引用されているとの事。
ここへ来るためにストリートビューで既に偵察して見ているとはいえ、実際生で見るとその存在感に圧倒されました。
東立面側。
塔の左右に白い壁が並列していますが、その方向はローマ街道の方角に向いているのだとか。
広場の左側には高等学校があり、その先にも別の学校があるようで学園都市の模様。
平日と言うこともあり広場には静かな時間が流れていて、この異様+偉容な形体が以外にも日常に溶け込んでいると感じます
西立面側です。

設計者イムレ・マコヴェッチの財団HPによると、「建物は3つの丘で構成されており」と記載があります。(といってもハンガリー語をグーグル翻訳した直訳的な文章ですが)
1つ目の丘には教会ホール、2つ目の丘には教区と牧師館、3つ目の丘には教会ドームがあると書かれています。
残念ながら観光客を受け入れるような教会ではないので、内部には入れません。

この後は電車でブダペストへ戻りイムレ・マコヴェッチ氏の公開されている自邸建築を目指します。
シャザロンバッタからブダペストへトンボ帰りし南駅からバスで20分ほど丘を登ると建築家イムレ・マコヴェッチ(Makovecz Imre)の自邸があります。

氏の自邸はイムレ・マコヴェッチの財団の事務所になっており見学できます。
財団のURL https://www.makovecz.hu/
財団のHPをグーグル翻訳すると・・・
ハンガリー語ではMakovecz Imre
グーグル翻訳はイムレ・マコヴェッツチ
雑誌a+uではイムレ・マコヴェッツ

と出ます。
ちなみにハンガリー語での名前の表示は日本と同じで名字が先で名前が後に表記します。
入場して庭から見ます。
独特の造形が先に見たイシュトヴァーン教会にも通じます。

氏の住宅として作られましたが一度もお住まいになる前に亡くなられたそうです。
その後財団の事務所として使われているとの事。
建物は有機的に曲線を描いて、左のリビングダイニングとして作られた空間と右の個室の間に中庭を作り出しています。
地面にはハート型のコンクリートで作られた舗石が埋め込まれています。
何パターンかあるようで、おそらくプレキャストコンクリートのように同じ型枠から量産しているのかと思いますが、とても個性的で面白いです。
17mmのレンズでも表現し切れない天井高さです。
イムレ・マコヴェッチ氏の仕事部屋を再現(又は保存)してありました。
住まいとして引っ越す前に亡くなったとの事ですが、部分使用で仕事部屋としては使う時間があったのかもしれないですね。
ハンガリー建築旅行の1日目、マコヴェッツチ氏の家を後にして一旦ホテルへ戻って一服した後にドナウ川の夜景を見にくり出しました。
時刻は18時頃でドナウ川にかかるマルギット橋からの景色です。
左がペスト地区で右がブダ地区。
小雨降るマルギット橋の上。
3月の前半なので観光客は少なめ。
橋の真ん中をトラムが走り、その外側に自動車、そして端部が歩道です。
橋の欄干が凝っています。おそらく鋳造製ではないかと思います。
ちなみに欄干の上端の上に見えているのが有名な国会議事堂です。
日も沈み、対岸のマーチャーシュ教会もライトアップが始まります。
王宮の建物と手前には鎖橋もライトアップスタート。
川の護岸の上には脱がれた靴がならんだ「靴の銅像」があります。
これは第二次世界大戦時にホロコーストで射殺されドナウ川に落ちていった約2000人のユダヤ人の悲劇を後世に伝えるために作られたものです。
当時は革が貴重品だったため、自らに脱ぐよう命じてから射殺されたのだそうです。
子供の靴やハイヒールなどもあります。

ハンガリーは第二次世界大戦時はドイツに配慮して枢軸国側だったそうですが、その後枢軸側から脱退するのを避けるためにドイツに占領され、その時代に起きた悲劇との事です。

ハンガリーを訪れるにあたって色々調べる中で初めて知りました。
ドナウ川沿いに名所のセーチェーニ鎖橋までマルギット橋から歩きました。
この一帯は東欧のパリと言われ世界遺産になっていますが鎖橋は土木遺産として是非見たいポイントです。
鎖(くさり)橋の向こうの丘には王宮(現・国立美術館)が見えます。
この橋はブダ地区とペスト地区を1849年に初めて恒久的に結んだ橋で設計者はウィリアム・ティアーニ・クラーク。

ハンガリーの国内道路は橋のブダ側の0キロメートル点から始まっています。
日本で言う所の「日本橋」と同じですね。
吊り橋形式の「くさり橋」ですが、ワイヤー式が普及する前の構造形式で、スチールのプレートの両端に穴を開けてピンで連結するチェーンのような方法でつながった物を並列に束ねて引っ張りに耐えている形「アイバーチェーン」です。
ピンで貫かれたプレートのディテール。
さて、鎖橋をわたりブダ側の川縁を歩いて国会議事堂の正面へ。
やはり建物芯で撮りたい被写体です。

マルギット橋からペスト側護岸を歩いて鎖橋を渡って1時間20分ほどで1周できました。
ハンガリー旅行の1日目が終わり、宿に帰りました。
ブダペストで4泊したホテルの部屋です。
写真を撮ったのはハンガリー入りした当日の夜で入室と同時に撮影しました。

Booking.comで探したのですが、お手頃価格のホテルは今風に改装してる所が多い中ここはクラシカルなデザインだったので見つけて即予約しました。
天井が高くで気持ち良いです。
冷蔵庫に入っていたスパークリングワインです。
部屋の備え付けは高いイメージがありますが、1本4ユーロなので吞んじゃいました。
とても美味しくて、結局毎晩吞んでしまいました・・・
ブダペスト到着日を0日目(夜到着なので)として2日目の朝です。
ホテル外観
この日は前日同様に南駅へ移動してブダペストから電車で1時間20分ほどのシオーフォク(Siófok)へ向かいます。
朝の南駅です
前日キップ売り場を探して少々苦労しましたが2日目は慣れて自動販売機をすぐ発見。
今回は乗り間違えの無いように念入りにチェックしてオレンジ色の右の列車に乗りました。
シオーフォク行きはこの日もイムレ・マコヴェッツチ氏設計の教会を見るため。
シオーフォクへ到着です。
シオーフォクの駅から10分ほど歩くと見えて来ました!
イムレ・マコヴェッチ氏設計の福音派教会(ネット上にはルーテル教会との記載もあります)です。
「口」に見える部分はドアとなっています。
羽の様な装飾は木製の様です。
設計はハンガリーがまだ社会主義時代の1986年との事です。
シオーフォクの姉妹都市であるフィンランドのオノウル市のルーテル教会が木材や家具を贈り物として建設を援助。内部ディテールは(残念ながら入れませんでした)ノルウェーの中世の木造教会を彷彿させる とイムレ・マコヴェッチ財団のHPに記載がありました。
教会裏側の立面側の中央にも大きなドアがあり、正面の「口」の部分と対面してドアがある配置。
右に見切れているのは住居棟のガレージ。
4面にそれぞれ扉があるレイアウトです。

イムレ・マコヴェッチ財団のHPに詳しく解説があります。

マコヴェッツチ氏の教会を見た後はシオーフォクの町中を少々散策しました。
町の中心に建っている給水塔です。
有料エレベーターで展望階へ上がれるようですが、我々はバラトン湖へ歩きます。
バラトン湖岸へ到着。
湖は石灰質が多いとの事で水の色が独特です。
湖水浴場となっていました。
ブダペストへ帰るためにシオーフォク駅舎へ。
屋根の塔デザインが西欧とは違ってハンガリーっぽいなと思います。
中央のドアの上はシャザロンバッタで見た時と同じように駅名ではなくて「鉄道駅」と表記です。
駅名表示を大きく掲げる日本式とはやっぱり違うんですね。
ドアの中には有人窓口が5つあり2つだけ開いていました。
地元の人はスマホで乗車券を買うので自販機が並んでいるような光景はありません。
有人窓口があるのは旅人には助かります。
シオーフォクからブダペスト南駅に戻り駅から歩いて王宮の丘へ。
「血の原公園」という公園を横断して丘に向かいます。
血生ぐさい歴史がありそうな名前です。
階段を上がって振り返ったところ。結構な高低差です。
王宮の丘はブダペストではメインの観光地ですが、皆ドナウ川側から登ります。
南駅側の丘斜面は住宅が広がる地元民のための街です。
まだまだあります。
王宮の丘の上に到着。
中心部へ向かってすすみます。
途中で見かけた屋根の造形。
おそらく小屋裏部屋の換気と思いますが個性的です。
この造形のように「良く分からないけどちょっと可愛らしい感じ」が私にとってのハンガリー建築の魅力です。
マーチャーシュ教会です。
屋根のタイル模様が印象的ですが、改修時に外したタイルをお土産として販売していました。
カラフルなタイルはジョルナイ社製との事ですが色物は売り切れていてグレー調の物だけ売っていました。購入したい所ですが、なにしろ重いので断念。

教会が建っている場所は「三位一体広場」と呼ばれています。
広場に「三位一体像」が建っていて、中世の欧州でペストの収束を記念して建てられた像で、チェコにも同じ名前の記念像があるようです。
入場料は1人2600フォリントだったと思います(1300円)
三位一体広場にある「漁夫の砦」と呼ばれる建築です。
砦(とりで)と名前が付いてますが、地球の歩き方によるとマーチャーシュ教会を改築した建築家シュレックが町の美化のために1902年に建設したとあります。この地で以前魚市場が開かれていた事から名前が付いているとのこと。(年はWikipediaから)

川で採れた魚を丘の上まで運び教会の広場で貴族達の料理人に売っていたと勝手に想像してます。
回廊の開口からドナウ川を見下ろせて、主に展望台的な用途で建てられたと思われます。
川側には階段が作られていて教会へ上がる動線として整備されています。
王宮の丘にある王宮、今は国立美術館となっています。
エクスナレッジの「世界の建築・街並みガイド」によるとモンゴル襲来後に天然の要塞となるこの地に王宮が築かれたとあります。
さて、王宮手前の広場には1987年にユネスコ世界遺産になった名物のケーブルカーがあります。
1870年に開通。
長さは95mで斜度は30度との事で往復4000フォリント。
運営はブダペストの交通局ですが我々の買った15日パスでは乗れません。
眼下には昨夜見た鎖橋が見えます。
下から見るケーブルカーです。
片道1000円位なのでちょっと高いですが、江ノ島のエスカーみたいな感じで観光客のみが使っているようです。
ここまで南駅から徒歩で4キロほど歩いてきました。
このまま鎖橋を渡って次の獲物に向かいました。
エルジェーベト公園の横を通って行きます。

ハンガリーを代表する建築家レヒネル・エデンの代表作の郵便貯金局です。(1902年竣工)

タイルを使った建築で有名な事からINAX(LIXIL)の発行するフリーマガジンで記事を読んだこともあります。エクスナレッジのガイド本では国会議事堂に続いて紹介番号2番に出ていますので押さえ所と思います。
紋章なども陶器で出来ているように見えます。
父親が遺産として受け継いだれんが工場を運営していた事からレヒネル氏はセラミックの分野において知識が深かったとされています。

また、ハンガリーの多くの人の起源が東方にある事から中央アジアや近東になじみの深い多彩色のセラミックを採用したとの事です。(レヒネル・エデンの建築 INAX BOOKLET Vol9)より
中央のエントランス。
着いたのは夕方5時頃なので、退社する人達が出て来ます。
今も現役で郵便関係の社屋として使われている模様。
郵便貯金局の裏側にある自由広場です。
中心にあるのはソビエト英雄記念碑だそうで自由広場にソビエト物とはなんとも皮肉です。
さて、広場の周辺はバス以外が入れないようにゲートがあり地面から鉄のバリケードが生えてきます。クルマによるテロを防ぐ目的と思われます。郵便貯金局の裏手もクルマに対する厳重なゲートがありました。
国会の裏側へ到達。と言ってもこちら側がペストの町側なのでこちらが正面なのかも。
国会前は広場となっています。
クルマは進入禁止でトラムのみ走っています。
この路線のトラムに是非乗りたい所ですが、最終日に乗ることにしてこの日はホテルへ帰りました。
ハンガリー2日目。
朝ホテルを出て南駅からシオーフォクへ行き、ブダペストへ戻り地図の通りに徒歩で廻りました。
この日もヘロヘロに疲れました。

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