ポルトガル建築旅行

2025.01.20

ポルトガル建築旅行

2008年の12月にポルトガルを旅しました。

以前から好きなアルヴァロ・シザ氏の建築を見るため。
90年代に事務所勤めの時に目にしていたスペインの建築雑誌。そこに掲 載されていた白い建築にうっとり。外観はシンプルさとユーモアのあるデザインが美しくもあり可愛くもあり、是非に氏の建築を見てみたいとその機会をねらっていました。
2008年にそのチャンスが訪れ、シーズンオフの12月のクリスマス前に行くことが出来ました。

2008年現在、日本とポルトガルの間に直行便はありません。という訳で成田からパリのドゴール空港経由で行く事に。
成田からはシャルルドゴール空港の2Eターミナルに到着。
乗り換えのターミナルへ移動する途中でのスナップ。
ドゴールからポルトガルのポルテラ空港へ向かいます。
ポルトガル、リスボンのポルテラ空港です。
クリスマスが近いので飾り付けが綺麗です。
この日は夜遅く到着。
アイルトン・セナ似のタクシードライバーさんに運転してもらってホテルへ直行。
ネットで見つけたホテル。「建物の夜景が綺麗だった」という理由でここに宿泊。
落ち着いた小さなホテルです。
リスボンと言えば黄色い路面電車です。
狭い路地をぎりぎりで走ってくるところは、我が地元の江ノ電とイメージが重なります。
ポルトガルにかぎらずですが、欧州の歩道は大理石のピンコロ敷き詰めが多く、ポルトガルではこの模様をよく見ます。
キティちゃんは日本が生んだ世界のスター。
写真はサン・ジョルジェ城がある丘
その丘からの見下ろし。
改修中の建築の上に大きな平屋根をかけてあるのが印象的です。
日本では見られない方法ですね。
ポルトガルの街
港街の大らかさが国全体に行き渡っているように思いました。
サンタ・ジェスタのエレベーター(通称カルモのリフト)
バイジャ地区と高台のバイロ・アルト地区をつなぐ市民の足のエレベーターで高低差が45mあるとの事。設計者はエッフェルの弟子にあたるラウル・メスニエル・デ・ポンサルドで1902年に完成。
さて、リスボン旧市街から電車に乗ってジェロニモス修道院へ向かいます。
ジェロニモス修道院の礼拝堂内部
ジェロニモス修道院の中庭。
16世紀に作られた東棟と19世紀に作られた西棟で構成。
2階の回廊の向こう側で・・・
中庭に面する回廊では高校生達に何か劇を見せていました。
ホテルの窓の夜景。リスボン市内は起伏が多いので歩き回ってすっかりヘトヘトに。
2日目はエヴォラの町へ行くため、地下鉄でバスターミナルへ移動です。
地下道で発見!
何故か日本のセルフ証明写真コーナーがありました・・・
高速バスの車内
エヴォラは城郭都市で、城壁の外にバスターミナルがあります。
写真はバスターミナルの待合所です。
マラゲイラの集合住宅
マラゲイラの集合住宅(設計アルヴァロ・シザ氏)
エヴォラの城郭都市からのちょっと離れた(徒歩20分ほどか)にマラゲイラの集合住宅があります。
1977年竣工の低層集合住宅(いわゆるテラスハウス)で全1200戸ほどの規模です。
上下水インフラを整備し、店舗、教会、レストランなど、ひととおりの施設を備えた小さな街といったつくりです。徒歩でバスターミナルから行くと、写真のように池を渡って街に入っている感じです。
外壁は白く塗装されていますが、住まい手によって部分的に色を付けることが許されているようです。
白い住棟間をつなぐ組積造のブリッジがありました。
多くの住棟をつないでおり、インフラ(電気・水道・ガス)を行き渡らす部分なのかと想像してます。
ご覧のとおり電柱なんて無いですし。
ガレージの棟はシャッターがすべて緑色に塗られていますが、緑の度合いはみなそれぞれ違います。
そこが綺麗に見えるポイント。
屋上から見下ろす犬。
ポルトガルは野良犬が多いですが、野良猫は見かけません
ポルトガル3日目。
リスボンのオリエンテ駅から1時間ほどのシントラへ向かいます。
ベーナ宮殿
14世紀に建てられたシントラのベーナ宮殿です。
シントラ山脈一帯は文化的景観として1995年に世界遺産に登録されています。
宮殿の廊下部分。
山の稜線の遊歩道でムーアの城跡へ移動。
かなりヘロヘロになります。
すれ違う白人おじさんと「もう少しだぞがんばれ」とお互い視線を交わして進みます。
見下ろすとシントラ宮殿が見えます。
灰色の円錐の屋根が特徴的。
こちらがその宮殿の円錐屋根の室内。中央に穴が開いています。
室内は厨房で穴は煙突でした。
大胆な方法ですね。雨降ったらそのまま入ってきます。
見上げてるのは私です。
リスボンをベースでの見学地を廻ったあとは新幹線みたいな列車でポルトへ移動しました。
車内がアンバー照明でとても落ち着きます。
日本の新幹線は明るすぎるなあといつも思います。
ポルトのサン・ベント駅から歩いてホテルへ向かいます。
写真はほぼ駅前のリベルデーダ広場です。
透明なフラードームが広場におかれて何かイベントをしていました。
ポルトでの宿です。
星は沢山無くとも、快適で素敵なホテルです。
ポウサの集合住宅。(設計アルヴァロ・シザ氏) 地下鉄のラバという駅の真裏にあります。
地上駅ですが、駅前と言った感じはなく、ひっそりとしています。
住棟が向かい合うこの広場というか空間ですが、日本だったら勝手に住民が何か置きそうです。
建築聖地巡礼の若者。ご同業の人ですかね。
ボリュームの分節が絶妙です。
薄い階段もエルクロッキーで見たとおり。
シザの作品を後にして西に進みました。
カーサ・デ・ムジカ(設計レム・コールハース氏) 2004年竣工です。
サークル状のポアヴィスタ庭園に隣接してありました。

「岩石が空から落ちて来て地面にめり込んだ」といった感じのデザインです。
そういった塊デザインは日本でも多くの建築家に流用されてますが、時期的にここがオリジナルだと思います。
外構の地面は波打つようにうねっています。
スライドドアの収まり。スゴいですね。
階段からエントランスへ。
内部の共用部は公開していました。
撮影もOKとの事でした。
ポルトガルタイルとガラスの共演したホールがありました。大波ガラスに近寄ります。
練習かリハーサルしている様子を上から見下ろせました。
共用階段が内部を自在に走っていて、自分が何処にいるのかつかめません。
ホワイエにはカフェがあります。
エスプレッソ頂きました。
ポアヴィスタ庭園をぐるりと廻ると市場が。
市場も凝ったデザインで、中に吸い込まれます。
2008年現在は市場の中は雑然としていましたが2025年のグーグルを見ると綺麗に整然とした市場になってます。
お目当てのポルト大学建築学部校舎(設計アルヴァロ・シザ氏)に徒歩で到着。
この日はクリスマス休暇に入っている時期なので学生達はいなく、静かな時間が流れていました。
3棟の裏手側から
人影は私です
壁の落書き
教室の様子を窓の外から撮影。
模型置きっぱなしなんですね・・・お国柄かな。
ポルト大学から徒歩で近代美術館へ移動中に見た景色。
犬が何匹も塀の上でくつろいでます。
さらに歩いてポルト近代美術館(設計アルヴァロ・シザ氏)へ。
壁に映る木々の影の演出がすばらしい。
内部は共用部分のみ撮影可能でした。
階段の演出もシンプルで素敵。

美術館のレストランで昼食を取ってから一休み。
バスでホテルまで帰りました。
宿に一旦帰ってからポルトの夜の町へくり出しました。クリスマスの電飾が綺麗です。
ドゥエロ川にかかるドン・ルイス1世橋の夜景です。
橋の向こうに見えるのはセラ・ド・ビラール修道院
対岸の街の夜景です。
ポルトで2泊した「グランドホテル・パリス」さんの部屋です。
「地球の歩き方」で見つけました。

天井が高くてクラシカルで素敵です。
カーテンを開けて窓の外を見ると・・・
狭い道に面してますが電飾の飾りが綺麗。
窓から見下ろし。
翌朝出発前にホテルの中を散策。
階段室の上には楕円形の天窓がありました。
手が込んでて丹精に作られた建築です。
ポルトを離れてブラガ郊外へ向かいます。
写真はサン・ベント駅の早朝の様子。

この日の目的地はソウトデモーラ氏が修道院からホテルへ改装した「モステロデ サンタマリア ド ポウロ」です。
さて、今回の旅は一緒に行ったパートナーが以前ポルトガルへ来たときの記憶をたどりながら案内してくれています。

それで、この日宿泊する予定のホテルヘ到着してチェックインしようとすると・・・
予約が取れて無くて、「ここはモステロデ サンタマリア ド ポウロ?」と聞くと「ここはモステロデ ギマランイスだよ」

「アナザホテル?! オーマイゴット!」と思わず絶句。
「クルマで来たの?」と聞かれたので「ノー アイドントハブアカー!」

やむなく街までトボトボ歩いて戻り、バスターミナルを探してブラガまで移動。
その後タクシーに乗り換え、4時間後に目的地のモステロデ サンタマリア ド ポウロへ到着しました。

旅のトラブルも楽しさの一つです。
モステロデ サンタマリア ド ポウロ
モステロデ サンタマリア ド ポウロに到着。
改修したソウトデモーラ氏はポルト大学芸術学部(現建築学科)で彫刻を学んでいた途中で建築に転向したそうです。
シザの事務所で5年間働いた後に独立したとの事。
チェックインしてまずは宿泊室の写真撮り。
壁の絵を開くと裏が冷蔵庫になっています。
ポルトガルのスパークリングのロゼワイン、MATEUSの小瓶が入っていましたので、美味しく頂きました。
ドアのディテールも凝ってます。
初日はディナーの予約を取ってなかったので近所のレストランで食べました。
外観夜景を撮影。
クリスマスの電飾が素朴でかわいいです。
客室の廊下の夜景。
宿を間違えて4時間ほど遅れて到着しましたが連泊なので翌日じっくり見て廻る事に。
翌朝、レストランで朝食を済ませて館内の探検に出発。
まずは中庭を。
庭のプールはシーズンオフ。
併設する礼拝堂です。ボランティアの学生が色々説明してくれますがポルトガル語なので理解はできず。
雰囲気は伝わります。
2008年にスマホ翻訳なんて無いですから「感」で理解です。
観光客がぱらぱらと来ます。
談話室
宿泊したのは12月ですが、平日ということもあり我々の他に宿泊者は一組しか見かけませんでした。
クリスマスシーズンのためツリーがあります。
2日目の夕食はレストランを予約してディナーです。
中庭のあかり。
モステロデ サンタマリア ド ポウロを2日間堪能できました。
翌朝はタクシーでブラガ駅まで移動。
その後電車でカンパーニャ駅に移動して乗り継ぎ。アべイロ駅へ向かいます。
アベイロで下車して、アヴェイロ大学へシザ氏の図書館などを見に行きます。
アヴェイロ大学図書館(設計アルヴァロ・シザ氏)
残念ながら内部は撮影不可と言うことで、見学のみさせていただきました。
職員の男性にソートデモーラ氏が設計した棟を聞いたところ、同行して案内してくれました。
ポルトガルの人はみな親切です。
このディテールに憧れてマンション設計に取り入れました。
55 アヴェイロ大学図書館
こちらは駅からのアプローチ側
この壁とブリッジの関係性が当時雑誌を見てそそりました。
モステロデ サンタマリア ド ポウロの改修を行ったソートデモーラ氏設計の棟です。
キレッキレのデザインです。
58 アヴェイロ大学給水塔  
あこがれのアルヴァロ・シザ氏の給水塔!

この後、感激を押さえつつリスボンへ帰るため駅へ向かい増した。

駅への帰り道で見た工事中の現場。
日本では中々見ない絵面ですね
アヴェイロからリスボンへ戻ったのは夜。
オリエンテ駅(設計カラトラヴァ氏)の夜景が美しいです。
日中も綺麗でしたが夜景はなおさらの美しさです。
59  リスボン・オリエンテ駅 
スリが多いのが玉に瑕の駅ですので、集団スリにご用心を。

駅近くの万博ポルトガル館(設計 アルヴァロ・シザ氏+共同設計ソウト・デ・モウラ氏)を見に移動。
駅近くのリスボン万博ポルトガル館を見に移動しました。

リスボン万博の時(98年)に竣工です。
シザ氏とソウトデモウラ氏の共同設計とのことですが、私の早川邦彦建築研究室の先輩、戸室太一氏がこの物件に担当としてたずさわっていたと、最近知りました。
夜景の様子は建築雑誌で見ていた迫力と違って、幻想的な空間を作り出していました。
そして翌朝のリスボン万博ポルトガル館です。

この日はポルトガルを発つ日。ホテルのチェックアウト前に万博会場を見て廻りました。
大屋根の端部見上げです。
コンクリートをパイプで吊り下げているような感じです。
魅力的な屋根をやっと現地で見られました。昔GAで見てから、いずれ現地で本物を見たいと希望していました。

1998年の万博レガシー

湾の対岸から見た様子です。
屋根のある広場の右側が本体で現在は博物館的に使われていると思われます。(ググールアースで調べた程度ですが・・)
この後ホテルをチェックアウトしてポルテラ空港へ向かいました。

リスボンを後にしてドゴール空港経由で帰路へ。
シャルルドゴールで日本行きに乗り換え。
クリスマスらしい飾り付けです。
警察官も楽しげでエスカレーターの脇で写真をとっていると警察官が記念写真を撮ってくれました。
日本行きに乗り換え。
成田へ向かいました。

終わり
マラゲイラ集住地図
マラゲイラの集合住宅も良いですが、隣接するエヴォラの城郭都市がとても良いです。
電車の駅よりもバスのターミナルの方がだいぶ近いので、リスボンから行くにはバスが便利。
ポルトの現代建築散歩地図
1サン・ベント駅
2ポウサの集合住宅
3ウイリーシアター
4市場
5ポルト大学建築学部
6ポルト近代美術館

名称は通称かもしれません。
サン・ベント駅近くの宿から番号順に歩いて廻りましたが、かなりヘロヘロでした。
最後の近代美術館からは美術館の入り口前のバス亭からサンベント駅バスへ戻りました。
ポルトガル建築巡礼の若人に地図が役立つと嬉しいです