コラム

オランダ建築旅行 その3

更新日:2018年1月16日

2018年1月16日更新
2016年の春に行ったオランダ建築旅行その3です。
写真はアムステルダムから電車で30分ほどの町「ヒルフェルスム」の駅です。
ユトレヒトに4泊したあとはヒルフェルスムに移動して2泊し、この町に点在する近代建築を見て廻りました。

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ヒルフェルスムの地図です。
到着するとバスで宿へ移動して、自転車を借りて町の中を見て廻る事としました。
地図左上の市街地からちょっと行った住宅地の中のB&Bに泊まり、自転車で右回りに廻って行きました。


WEBで見つけたHebly Hide AwayさんというB&Bに宿泊。ヒルフェルスムの駅からバスで10分ほど行った緑豊かな住宅地の中です。
写真はオーナーさんの住まいの横の庭の入り口の門です。
ここを入ると・・・
(http://www.heblyhideaway.com)


母屋の庭の中に建っている別邸で、サニタリーとリビングと寝室がありとても美しいです。ラピュタに出てくる空中庭園のような緑の鮮やかさです。


オーナーさんは日本に駐在した事のある元銀行マンのおじ様で、フレンドリーな上、日本びいきで室内には日本で購入した「出島」やお相撲のポスターなどが貼られています。近代建築を見るのと同時にB&Bに泊まることで、オランダの一般的な住宅も知ることができます。


さて、宿で自転車を借りてメディアセンターを目指して走っていると、何か違和感のある緑の空き地がありました・・・・


横の道を下りて行くと・・・・


雑誌で見たことのあるMVRDV設計のRVUオフィスでした。
メディアパークの裏側から進入したようで、一端表の通りに出て正門から攻め込むことにしました。


こちらは幹線道路に面したメディアセンターの正面に位置するオランダ視聴覚研究所です。
ノイトリングス・リーダイク・アーキテクテン設計で2006年竣工とのこと。
外壁をカラフルに飾る手法がもう10年以上前とは、時間のたつのは早いです。


外壁のカラフルな模様は型硝子に立体的につけられてダブルスキン式でした。


カラフルな窓から光を取り入れて、オフィスやスタジオは地下作られています。


表の水盤に面した場所は階段式のカフェになっています。


こちらはさらに奧にある MVRDV設計のヴィラVPROです。1997年竣工
古いTOTOの建築ガイドを見ながら行きましたが、前の部分(写真の看板の部分)は増築されていました。


発表された頃の写真しか知りませんでしたが、廻りに別棟が増築されています。


渡り廊下でつながっています。


エルクロッキーの写真時はこのように廻りはがらんと空いていました。
さて、メディアパークを離れて次はヒルフェルスム市庁舎の設計者のW.M.デユドックが設計した墓地の施設を目指して自転車で移動します。


ヒルフェルスムメディアパーク駅の東側の地区にある墓地でメディアパークから自転車で10分ほどでこれます。
アドレス:Laan 1940 1945 2, 1222 Hilversum,
Noorder Begraafplaats墓地の施設の設計はW.M.デュドック 1929年竣工
有名なヒルフェルスムの市庁舎の設計者と同じです。
ちなみに、MVRDV設計のヴィラVPROはW.M.デュドック賞というのを取っているそうです。


正面の様子です。


門状のピロティを抜けると墓地の中です。


内側から見た様子です。


軒の部分は青と白のタイルが貼られています。
また、サッシュはスチールで繊細です。


こちらは敷地外から通用口側を見た所です。曲面の建物は自転車置き場です。


門前にはスズキアルトが停まっていました。


ノーダベフラーフプラーツ墓地から自転車ですこし南下すると同じW.M.デュドック設計のスネリウススクールがあります。
1932年竣工


ネット検索などしても、まず外観は出てこない日本ではマイナーな建築です。
1932年といえばル・コルビジェのサヴォア邸が竣工したのが1931年ですから同じ時代に完成した建築です。
コルビジェと違い、レンガの外観と、垂直性デザインが合わさっています。


Rの外壁とガラスのカーテンウオール風窓、そしてレンガの壁、水平の庇ディテールなど、見所満載の学校建築です。


こちらは裏手側の様子。小さなグランドがあり、コ型に校舎が囲んでいます。


スネリウススクールからさらに自転車ですすみカルヴィンスクールに到着。


同じくW.M.デュドック設計。地図だけをたよりに、外観を知らずに探していましたので、「たぶんこれだろう??」といった感じです。
現在はアートスタジオとして使われているようです。
(http://oldschoolprojects.nl)


この日は週末でお休みのようですが、申し込めば見学出来そうな雰囲気です。


W.M.デュドック設計の建物はこのヒルフェルスムに75も点在しているそうです。


次の獲物はホーイラントホテルで、ヨハネス・ダウカー(又はダイカーの表現あり)設計です。
ヒルフェルスムの駅から南へ大通りなりに行くとロータリーの交差点があり、そこにランドマーク的に建っています。
住所は Emmastraat 2, 1211 NG Hilversum


1階の正面がエントランスです。まずは外観をぐるりと見てみます。
エントランスの上は屋上庭園か何かになっているようです。


エントランスです。設計者のダウカーは1935年に45歳で亡くなってしまったそうですが、1936年にパートナーのバイフートによって完成したとの事です(丸善 オランダの近代建築より)回転ドアを入って右にレストラン、左にバーがあります。
バーの奧には配置的には劇場のホワイエがあるはずで、ホワイエからも使用ができるのかもしれません。


正面の受付フロントで「写真撮っていいですか?」と聞くと、OKよ、という事で、流れでフロントの女性が上階のデッキへ案内してくれました。歴史的建築という事で見学者に慣れているようです。


階段を上って上階へ案内してもらいました。


屋上デッキへ出るドア前にはホテル全景のスケッチが張られています。
さあ、外へ出てみます。


エントランスホールの上が屋上テラスになっていて、その周囲に客室がありました。


スチール手摺りのディテールやサッシュディテールが綺麗。


Vituskerk寺院が見えます。


建物裏手側にある劇場入り口です。
キャノピー下面にネオン管がついていますので、夜は華やかな外観になるのかもしれません。


ホーイラントホテルから自転車で10分ほど移動してヒルフェルスムの市庁舎へ行きました。
設計はW.M.デュドックです。
1930年竣工デュドックはオランダのアムステルダム派、デ・ステイル等の影響の少ない建築家で、独自の作品群をこのヒルフェルスムの町に数多く完成させているそうです。
アカデミックな建築教育を受けず、陸軍士官学校で建築技師として学び、ヒルフェルスム市の公共建築局の局長として活躍したそうです。(丸善 オランダの近代建築 山縣洋氏 著より)


この角度がお約束のショットだと思います。17mmでとってPC上でアオリ補正しましたので、塔がちょっと太ってみえます。もっと遠景で撮るべきでした。


水盤にそって回廊が延び、壁面は印象的な青いタイル貼りです。


突き当たりにあるエントランスです。この日は閉まっていて入れませんでした。


ガラスにピッタリカメラをあてて中を撮らせて頂きました。


市庁舎の裏手側です。
黄色いサインがありますが、申し込むと室内も見学出来るようです。


さて、夜景です。


裏手側のファサードも綺麗な夜景です。偏光フィルターで窓の反射を取り除いている事もあり、室内の様子も見てとれました。


いよいよオランダ建築旅行も最後の見学建物です。ヒルフェルスムの駅前から104番バスに乗ってVan Ghentlaanで下車、写真のゲートに入って行き、1キロ程度歩きます。
この奧の施設直前にも104のバス停がありますが遠くの町を循環した後に施設前のバス停に付くため、我々はここで下りて1キロほど歩いて行きました。


ゾンネストラールです。ヨハネス・ダウカー設計で1931年完成の結核療養施設です。同じヒルフェルスムのホーイラントホテル、アムステルダムのオープンエアスクール、シネアックと同一設計者。


オランダのダイヤモンド研磨労働者に結核患者が多かった事から、その療養所として建設されたそうで(丸善 オランダの近代建築 山縣洋氏著 から)ゾンネストラール=太陽光線 という意味だそうです。


外観は綺麗に維持されていましたが、室内は昔のままの状態の場所もあります。壁の左にこの部屋の「絵」が飾ってありました。


中心的な場所にある管理棟です。この棟の周囲に病室の棟が配置されています。機械室が大きく取られていて、施設全体のボイラー室等の機能をここに集約していた建物のようです。


ヨハネス・ダウカーの書籍FHに掲載の同施設の写真では廃墟のような状態でしたので、近年綺麗にリフォームして建築遺産として保存しているようです。


カフェがありましたので入りました。


メニューの下に建物のイラストと「ZONNESTRAAL」とキチンとデザインされて入っています。この施設を遺産としてしっかりと運用する気概が見えます。


エスプレッソをいただきました。


空撮の全景ですが1928年当時のものでしょうか。今よりも付属棟が少ないようです。
病棟がX型に延びているのがわかります。


ゾンネストラールから宿へ戻る途中のヒルフェルスムの町の様子です。さりげなく、街並みに見えるほとんどの物がキチンとデザインされています。


道筋で見つけた住宅です。素敵にデザインされています。


オランダ建築旅行も帰路のスキポール空港で最後の建築見学です。
空港は行きは到着後そそくさと出てしまいますが、帰りは空港に早めに着いて中をぶらぶらするのようになりますね。
設計はベルテム&クラウェル1994年完成ですので、レンゾピアノ設計の関西新空港と同じ年に開港です。他の空港と比べると、出発ロビーの大空間の中に住宅のリビングのような空間や店舗の配置が特徴、とTOTOの建築ガイドに記載があります。たしかに、ダイニングテーブルのようなフリーで飲食できる場所やソファなどが配置されていて、くつろいだ時間を過ごせます。ここなら、ラウンジなどに入るより快適に過ごせそうです。


オランダ建築旅行の様子をお送りしました。写真はユトレヒトにあるお菓子屋さんで買った素朴なビスケット。

これは、ミッフィーの作者ディック・ブルーナさんの好物だそうで、いつも買いにお店にいらしていたそうです。
旅行時は2016年春でしたので、ディック・ブルーナさんはまだご存命だったはずです。
2017年の2月に89歳で亡くなられたとのことです。

ミッフィー=ナインンチェプラウス=うさこちゃんの明解な色彩と輪郭はオランダの抽象美術運動「デ・ステイル」の影響を受けているということを改めて確認できました。昔から知っているミッフィと、建築に興味を持った頃からファンだったシュレーダー邸の色彩がつながることをいまさらながら再認識した旅でした。

おわり

株式会社石川淳建築設計事務所 東京都中野区江原町2-31-13第1喜光マンション TEL 03-3950-0351